コーヒーミルとわたあめ

 次男が小学生の頃、僕にこう聞いた。「お父さん、コーヒーミルに砂糖を入れたら、わたあめにならない?」と、一瞬どう返事していいものかとまどった、が、面白い考えだね、とだけ返した。我が家では、毎朝コーヒー豆を電動ミルで挽いて、コーヒーを飲む習慣がある。無論夫婦だけ、それを見ての発想だろう、その後、こういった、「面白い、試してみようか、」と

 

 ことは始まった。

コーヒーミルにザラメを入れ、電源を入れた。いっこうにわたあめにはならなかった。なぜか?次にとった行動は早かった。長男も参加しての「わたあめ作り」の本格的な実験が始まった。その当時、初めてパソコンを購入して、インターネットへの接続もなんとか完了していた。今思うと実にいいタイミングだった。

 まず、インターネットで「綿菓子作り」という項目で検索をしてみた。電話回線での接続しかない時代なので、遅いのなんのって、画像が上の方からゆっくり降り始める、それが何回も繰り返されてイライラしながらも、やっと「綿菓子作り」の概要が掴めた。

 

 要は砂糖に熱を与え、結晶化したところを拾い集めるという原理を知った。実験道具としてまず、缶ビールの空き缶、これはいくらでもある。次にモーターと電池、その頃、男の子が夢中になっていたのが、ミニ四駆という車のおもちゃ、モーターと電池はつきものだ、これも揃った。

 そして、肝心なのが火元、以前サイホンでコーヒーを飲んでいたことを思い出し、押入れのアルコールランプを引っ張り出した。

 

 ここからいよいよ実験が始まる。缶ビールの底に慎重に穴を開ける。真ん中に開けないと回転にブレが生じる。これは何回もくりかえした(おかげでビールがいっぱい飲めた。)、それができたら、缶にザラメを入れ、底を温めながらモーターで回転を加える。するとザラメがわた状になって出てくる。そこを割り箸ですくい取る。ってな具合でわたあめはできる。

 

 簡単じゃないかと、3人は完成したイメージだけで満足していた。が、とんでもなく難しいことだということを知った。何度も試みた、家中失敗のザラメが飛び散り、あっちこっちムチャムチャの状態で、家中の反感をかった。しかし3人は諦めなかった。

 ある日曜日、皆で公園に遊びに行った時、綿菓子屋さんを見つけた。3人はすぐさまそこに

駆けつけた。「いらっしゃい!」というおじさんを無視して、わたあめ機の構造をくまなく観察した。わたあめは買わずに

 

 そして、その日は訪れた。誰もいない家で、3人はこれが最後だという覚悟で実験を開始した。今までの失敗を検討して、改善策を慎重に練り、とまるでノーベル賞を狙うような雰囲気が漂った。大きな段ボールの中に実験器具は完璧に収まり、アルコールランプに火を入れ、モーターは回った。しばらくすると、うっすらと雲状のものがゆっくりとでだした。やったー!成功だ、だが、3人はこの気持ちを押し沈めた。そして少しの笑みを浮かべながら、割り箸で集めたわずかなわたあめを、感慨深く舐め合った。思いついたことは、やってみよう、でなきゃ、でてこない。

希望ヶ丘公園

 那覇牧志の中心に希望ヶ丘公園がある。国際通りのテンブス館の裏手、この60年でこのあたりは見事に一変した。希望ヶ丘とは耳障りがいい、なぜこの名前がつけられたのだろうか、と今でも思う、僕にとっては、絶望ヶ丘公園なのだ

 関西から移り住んで、しばらく小桜で一家四人住んだのち、この希望が丘にある一軒のボロ家に引っ越してきた。当時は公園ではなく、丘の麓の貧民街であった。

 

 雨が降るとぬかるんだ小さい道を登っていく、畳はない、トイレは外、ハブも周りにいっぱいいたはずだが、ハブに注意の看板なんかはない。そこにどのぐらいいたのかも記憶の彼方になった。5~6歳の幼児だが、希望より絶望を感じたのを覚えている。

 

 その後、その貧民街は徐々に姿をなくし、公園へと変わっていく、小学生の時にはおそらく僕が住んでいたあたりは広場になり、そこで凧揚げなどができた。周りは高層ビルもなく、那覇を一望できる見晴らしのいい場所になっていた。徐々に絶望から希望へと向かう

 それを感じたのは、小学校の絵の時間で、その丘からの写生会があった時、他の生徒は大半が西側の、今の平和通り方面に向かって描き始めたのだが、僕は反対側の桜坂の飲み屋街を書いた。

 ここに住んでいた頃、丘から見る桜坂の飲み屋街のネオンが、それは美しく感じられ、貧民街から見ると、その場所が別天地で夢の国に見えたのだろう。それを書こうと思ったかもしれない、しかし、昼はネオンはない、よく見ると、皆トタン屋根にハリボテの派手な表装を施した店ばかりだった、だけどもがっかりはしなかった。そこにはこれからの時代に希望をもたらすような活気が感じられた。

 

 小さい頃、店のお客さんによく桜坂のクラブへ連れて行ってもらった。その時の写真がある。今では大事件だ、数歳の子がホステスの膝の上だ、ステージにはフルバンドのジャズメンが、その前のフロアーではペチコートを着たホステスたちがお客さんと踊り狂っている。

 この状況も、まさに夢の国だった。

 

 その、だったが、その後、音を立ててくづれていく、開発の余波がおとづれ、街は変わりだした。数百件あった桜坂の繁華街も、道路建設のため立ち退きを余儀なくされた。

 戦後できた繁華街はどこも活気に満ちていた。それはそれは元気なウチナーイナグが疲れはてていたイキガに元気を与えていた。が、あまりにも理不尽な立ち退き、やっと立てた自分の城を手放すことになった。その当時、このあたりは桜坂大学とも言われていた、文字通り、この大学を卒業して真の人材になる。とのことか、確かに幾多の成功者はここの出身者だ。

 

 最近この公園の上に登り、周りを見渡し、しみじみと邂逅する。これまでいた場所がこれだけ変化した。そしてこれからもこの変化はますます加速するだろう。あの日感じた、希望が絶望にそしてまた希望にと変化した胸の内が、また絶望に戻らないことを祈る。

 この丘はこの変化をどう思っているのだろう

コロナウイルス2

 

 2月6日に「新型コロナウイルス感染症」について書いた。その後の経過は世界中惨憺たる現状だ。

 中国に端を発し世界中に飛び火し、ヨーロッパ、アメリカでは国民が恐怖のどん底に陥っている。イタリア、フランス、スペイン等は毎日相当数の死者が出るし、アメリカではなすすべがないという状況が、中国はその後治りつつあるが予断は許さない一旦陰性に回復した患者がまた発症したということも、何よりも中国の情報はあてにならない、現在世界中の感染者の数は

 全体で705366人、死者数は33007人となっっている。(3月30日現在)

 

 日本でも日に日に深刻な事態が続き、まず今年の一番の目玉「東京オリンピック」の延期が決定した。日本での感染者は1858人、死者は55人、昨日は感染していたタレントの「志村けん」が亡くなった。感染してから2週間目でのことだった。日本だけではなく海外でもこの件は取り上げられ、多くの影響を与えた。これまで危機感が見られなかった日本の状況がこれで一変する。

 このウイルスがなぜ恐れられているかというと、かかっても確たる治療がない、薬もないし医者もなすすべがない、人間の免疫力に頼るしかない、感染を防ぐためには人と人との接触を極力避ける、そして体についた菌を洗い流す、手洗いの励行、これだけだ、

 テレビでは毎日このことを繰り返し繰り返し総理大臣始め、各専門家、そして各県の知事が述べている。日本では他国と比べ強制力がないので、国民への要請としかならない、この国の指導者への信頼のなさが露呈したのか、このことを守らない多くの若者の姿が見えた。

 

 ところでふと考えた。世界中を席巻しているこの「コロナ」、犠牲者が世界で70万の感染に3万強の死者が現在の数字、これがどこまで伸びるかわからない

 この数字と第二次世界大戦での沖縄での地上戦の犠牲者と比べてみた

沖縄戦での連合軍と日本人の死者総数は188136人、県外が65908人、県出身者は122228人、このうちの94000人が民間人である、それも数ヶ月の間で、形は違えどこの小さな島でこれだけの犠牲者が出た。それは人間同士の殺し合いで生まれた数字だった。敵は人間にあった。

 

 人類は今、見えない敵におびえてる。天皇でも国王でも大統領でも総理大臣でもノーベル賞学者でも人気タレントでも関係なく、上下の差、貧富の差もなく、平等に感染する。忖度の余地もない、ただただ人間の無力さを思い知る。

 世界中に蔓延したコロナは間違いなく世界史の大きな1ページになる。世界保健機構はパンデミック(世界的大流行)を宣言した。かつては天然痘スペイン風邪、ペスト、感染症をいわれるものが世界を恐怖に落としめた、治療薬のなかったその時代の犠牲者はこのコロナとは桁が違う

 しかし、コロナにも治療薬が今のところない、今後どれだけの犠牲者が出るかは想像もつかない、今最も危惧されているのが後進国への飛び火だ、先進国でさえこれだけ打つ手がない状況なのに、医療もままならないアフリカ等に飛び火するとどんな悲惨なものになるか

 

 我が家では数日前ベトナムから帰国した娘の美華子が今日から自主的に隔離に入った。明日は大阪から息子の潤也が戻る。これから我が家の予防マニュアルを作成する必要性が出てきた。

 次は「コロナウイルスついに終息」を書きたい

 

この項は2020年3月31日に書きました。あれから一週間現在4月8日

日本4257人 死亡81 世界1275104人 死亡72523人となった。拡大は止まらない

ケン・ローチ監督の作品

 ケン・ローチというイギリスの映画監督の映画を二作品見た。最初は家でプライム動画で見た「わたしは、ダニエル・ブレイク」、次に先日妻と桜坂劇場で見た「家族を想うとき」

 どちらも内容は現代社会に潜む大きな矛盾、理不尽さ、不公平さ、差別化等をどこにでもいる生活者の立場から鋭く捉えていて、それがものすごくリアリテイーに溢れる撮り方をしているのでとても映画とは思えない、その点から妻としては不満げだった。映画らしくハッピーエンドを望んでいたようだ

 

 「わたしは、ダニエル・ブレイク」は年老いた大工が病気をして収入が途絶える。そのために障害年金をもらうための手続きをするが、社会がかくもデジタル社会になっていることになすすべも無くなっていく過程をリアルに描く、これはまさに今日本でも起こっていることだろうなとひとごとでは無くなった。全ての手続きがコンピューターを通さないといけなくなった社会である。しかし今だにそれについていけない人はゴマンといる。舞台はイギリス、ヨーロッパでは社会福祉は児童に厚く老人には薄いという、日本の反対である。昔の手書きでの方法は完全にこの世からなくなるのか

 

 一方の「家族を想うとき」は、これも失業した中年男性が再就職をする。家族は介護士の妻と、子供二人再就職は厳しく、やっと個人事業者としての契約配達員になる。そのために車をローンで仕入れる。仕事は契約だから保証はなく休みも取れない、家族のために必死に働く、妻も理不尽な労働を強いられ切れそうになる。その環境から子供が問題を起こし時間の自由がない二人にはどうすることもできない状況に追いやられる。そんな状況を自然な撮り方で迫る。だが両方とも最後がわからない

 

 最後がわからないようにして、それを観る側に投げかけているようにも思われる。

まず社会の現実を普通の家族を通して見てみる。確かにそういうことがある。しかし、それはそうであっていいのだろうか、改革の糸口はないのだろうか、いや改革そのものを求めているのだろうか、と問えば難しい、大きな機関の制度は下へ下へと国の隅々まで展開するとどうにもならなくなる。国民は諦めをしいられる。それが国家権力の狙い目とも思われる。国民総無気力化だ

 

 

 ケン・ローチ監督は一貫してこれらの問題提起を行なっているようだ、最初はなかなか関心を抱く観客がいなく不遇の時もあったようだが、その後不屈の精神で問題を直視して精力的に仕事をこなしている。

 僕はまだこの二作品しか見ていないが、ここから考えさせられるものは多い、それは我々自身が問題提起を起こし、そして行動する。という過程を持たず。すぐ何かと批判から始めることに慣れているということではないか、テレビではいつものような顔ぶれのコメンテーターが一様に同じようなコメントに終始する。それをみる国民は一様に首を縦にふる。首をかしげようとはしない。仮におかしいと思い首をかしげてもその行き先がない、あまりにも反対勢力が弱く、反対行動もなく、結局諦めるしかないのである、と気づく

 

 ケン・ローチ監督がここまで一生懸命に映画を通してその想いを世界中に発信していることの意味はすごく大きいと考える。これを機にそこら中にある理不尽さを拾い出し、改革の糸口を見つけようと思う

川柳というもの3

 かつて世界各国の国家を風刺する絵やら逸話等が流行った時期がありました。最近はみられなくなったような気がします。国の権力者を遠巻きに、滑稽に批判するという巧みさに思わず苦笑でした。庶民のささやかな抵抗でした。風刺を込めた川柳も面白いのではと思います。是非ご一緒に風刺川柳をつくりましょう。 

 

1.テレビ見て 真面目に薬を 飲みだした

薬をまともに飲んだことないのがこの状況で真面目な病人になった

 

2.喉痛み ついにきたかと 早とちり

持病の気管支炎でも気になってしょうがない

 

3.泡盛を 熟れたら飲もうと 腹に決め

泡盛の熟成まで待とうと決めるが・・・ついつい開けてしまう

 

4.政治家は どこから見ても 芸能人

芸能人には失礼!一緒にするなと怒られそう

 

5.認知症 明日は我が身と 身構える

最近特に、あれ、これ、言った?聞いた?諸々が増えた気が

 

6.不器用に 孫の遊具を リニューアル

孫の遊具の手直しを頼まれ張り切ったものの手が思うように動かない

 

7.もう終わる いつまで待てば もう終わる

支度に時間がかかる妻を急かすといつもこの返事、もう終わるから、と

 

8.英語の本 いっぱいあるけど 喋れない

我が家には英語の本がいっぱいある、どこの家もそうかな~

 

9.トランプさん アベノマスクは いらんかね

やっと着け出したトランプのマスク、アベノマスクの方が質いいよ

 

10.世界の民 行くあてなしの 難民に

今世界中安全なところはない、全人類宇宙に行くしかないのか      

                            佬白山 作

川柳というもの2

 なかなか止まぬコロナの勢い、我が家でも不要不急な外出はやめと隔離生活に入りました。当然やることといったら、一杯片手に、空を眺めながら妄想の世界に入り時間を過ごすことになります。ということで次の10句が浮かびました。

 

1.おじいちゃんと 孫にいわれて 七福神

いつものいかつい顔が孫の一言でこうなる。目に入れても痛くないことがわかる。

 

2.今日はやめ と誓った日こそ 酒が倍

普段の適量がないからこういうことになる、意志薄弱なのか

 

3.このアプリ いいと思うと あとで泣く

無料のアプリには警戒を、あとで多額の請求が

 

4.買い物に 付き合うたびに 後悔す

女子の買い物はとにかく長い、あの店この店と、がまんガマン!

 

5.この質疑 この答弁に 何の意味

意味のある質疑なのか答弁なのか、変な日本語が飛び交う国会中継は面白い

 

6.わしゃボケぬ と保険会社に 抵抗す

保険会社は新商品と認知保険を盛んに勧める。それに必死に抵抗するが・・・

 

7.ペイペイで 支払う妻が ドヤ顔に

ペイペイで自慢げに支払うが、直前までやり方を必死に聞いていた

 

8.体脂肪 落ちる端から 付いてくる

落としても落としても付いてくる体脂肪、もう無理して落とさなくてもいいのでは

 

9.病院じゃ 加齢につきと かたづける

重篤な病と思いきや、いつもの便利な言葉、嬉しいやら悲しいやら

 

10.一家に二個 アベノマスクで もう安心

全国民に自信を持ってお送りするアベノマスク、これでコロナ撃退!          

                                   佬白山 作

川柳というもの

 今年は俳句に挑戦と、先日「俳句を楽しむ」という本を読み出した。が習うより慣れろ、と詠み出したのが俳句ならず川柳のようなものだった、季語を使わないだけで川柳といっていいものなのかわからない、しかしこの五七五のリズムに面白さを感じた。それからは毎日のように言葉が頭をついて出ていく首ができた。

 この時勢だからこそ、人間にユーモア、ウイット、エスプリ等が必要だと思う。川柳を詠みながらこれらを身に付けたいと思っている。

 いくつか並べたのでご一読ください。さらに評もお願いいたします。

 

1.おばあちゃん と孫にいわれて 般若面(はんにゃづら)

若いと若いと思っていたが、孫から見たらどう見てもおばあちゃんだった、じゃんねん!

 

2.片付けて はじめて知った ゴミ屋敷

結婚して子供ができた。そして皆が巣立った。後の残るのは不要なものだけだった。

 

3.インスタ映え 狙った写真は どれもクズ

注目を集めるために必死に撮り続けた写真はどう見ても、インスタ不映えだった。

 

4.この危機に 政府はいつもの 茶番劇

コロナ危機にいつものような与野党のやりとり、そのうちにコロナ終息に

 

5.どうもどうもと 握手をねだる 元議員

議員癖が抜けきれず誰にでも手を差し出す元議員がいる。過去の栄光今一度。

 

6.検診の 一日前だけ シラフ顔

数値だけ良くなるように無駄な抵抗を試みる、可愛いいのんベー達

 

7.コロナにて 世界の民が ワンチーム

コロナがパンデミックに、地球が一つになった。戦争してる場合じゃないよ

 

8.異変きた サー出てきたぞー 専門家

何か異変があるたびに現れる各専門家の方たち、テレビで大活躍、が一時期だけ

 

9.停年で 不要不急の 毎日が

不要不急の外出はやめるようにとテレビでは騒ぐが、停年後は要も急もない

 

10.このスマホ 数年経てば ガラケー

今はガラケーと言われるが数年前は最新機器だったではないか              佬白山 作